■■■丹波の料亭 三友楼■■■
  
■TOP
  
■歴史
  
■食への想い
  
■アクセス
  
■お部屋
  
■ご宿泊
  
■お献立
  
■柏原観光散歩
  
■LINKS
  

グループ・団体の皆様へ


和風レストラン「四季彩」(三友楼1階)

食の通信販売。三友楼の味が、ご家庭で。
栗の渋皮煮・黒豆煮・ぼたん鍋

携帯サイトはこちらから
  
■大阪・神戸からの日帰りドライブに最適!(片道約1時間半)
■JRでは大阪から1時間20分
(福知山線柏原駅下車5分)
 

 
Our thoughts


  人間は「食」を五感(味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚)のすべてで「食」を味わっています。
 調理師が料理を美しく盛りつけようとこころがけるのは、目で「食」を楽しんでもらうためです。味わいに視覚は重要な要素です。
 丹波は松茸の本場です。松茸を炭火で焼くと、えもいえぬ香りが満ち、とても幸せな気分になります。これは嗅覚で味わっているのです。
 バリバリ、ポリポリ、などの表現があります。これは食べている音です。例えばたくあんを食べていて音がしなかったら妙なものでしょう。これは音による味わいです。
 舌触り、喉ごしという言葉は触覚での味わいを表現しています。触覚での味わいがないのなら、ビールも「爽快な喉ごし」を売り物にはできません。
 人間は「食」を五感の全てで味わっています。触覚の芸術こそ、ちょっと思いあたりませんが、視覚の芸術は絵画や書、視覚の芸術は音楽、嗅覚の芸術は香道…。このように考えますと、「食」はトータルアートなのではないでしょうか。
  さて、味わいは五感だけなのでしょうか。第六感と言う言葉があります。実は、食を味わうにはこの第六感も重要です。店の雰囲気がいいとか、合わないとか言います。これが第六感です。心で感じる、と考えた方がいいかもしれませんね。食事のとき、人間は最も柔らかくなります(人前で話をするとき硬くなる、の逆)。第六感ものびのびとしています。日常の「私」を忘れ、もう一人の『わたし』に出会える時です。このような『安らぎの別世界』を三友楼は創りたいと考えています。





 食材はすべて生命あるものです。
 さて、あなたの祖先を遡ってみましょう。どんな太古の昔まで遡っても『子供のいなかった人』はひとりもいません。当然のことで、もし一人でも子供のない人がいれば、あなたは、ここに存在していません。これを「生命の連鎖」と呼ぶことにいたしましょう。
 あなたが今朝、ちりめんじゃこを食べたとします。一口で何十匹のじゃこが口に放りこまれたことでしょう。このじゃこの一匹一匹はすべて子孫を残さずに人生(魚生?)を終えましたので、太古から続いてきた生命の連鎖はここで終了しました。このじゃこといっしょに食べられた米も同様です。このちりめんじゃこや米の子孫はもう存在しえません。「食」とは、太古から連綿として続いてきた生命の連鎖をそこでたち切って私達の栄養することです。
 あなたの遠い祖先のなかには、ひょっとすると熊に追いかけられて、九死に一生を得た人がいるかもしれません。もし熊の犠牲になっていたら生命の連鎖はそこで終わり、今のあなたは存在していませんね。あやうく熊の朝食になるところだった祖先も、ちりめんじゃこも生命の連鎖の観点から考えると同じです。「食」は他の生命を食べて、自分の生命を発展させるものです。食事を前にして「いただきます」というのもこの生命を頂くということです。三友楼では「命」をもうひとつの『いのち』にしていただけるよう、お料理に全力を尽くします。



 日本人の平均寿命が、世界に冠たるものであることは皆様ご承知のことでしょう。昨今、和食は健康食として世界から注目をあびています。何故、和食は健康によいのでしょうか。 健康のためには、一日に三十品目を食べるように言われています。懐石は焼物、煮物など約10品もの料理を、食材が重複しないようにつくります。また、肉は少なく、野菜・魚が多いのが通常です。懐石を一度食べると30品目は軽くクリアします。和食はとてもバランスがとれた食事なのです。三友楼では『健康は食から』をいつも念頭においています。

 


〒669-3309 兵庫県丹波市柏原町柏原20  TEL0795-72-1111 FAX0795-73-0623
E-MAIL
umai@tamba.co.jp
Copyright(c)SANYURO ALL RIGHT RESERVED